2023/09/12 18:23

2008年の北京オリンピックが終わり、チベット内での人々の移動は厳しく制限されるようになった。チベット語の教育は中国語に取って代わり、伝統的な生活様式で暮らす遊牧民は強制移住させられ、生きる術を奪われていった。

僧侶や尼僧に対しては中国への〝愛国教育〟が徹底的に行われた。伝統や文化は壊され、行動や言論、信仰の自由さえ奪われ、人々は極限まで追い詰められたのだろう。

2009年以降、焼身抗議というこの上なく苛烈な方法によって、チベット人たちはその救いようのない苦しみを、自らに火を放ち表現している。犠牲者は154人に上り、うち132人が死亡している。命の尊さを説くチベット仏教を厚く信仰する僧侶や尼僧、一般人たちが焼身抗議を選んだことは理解し難いかも知れない。だがそこにはチベットにとっての光であるダライ・ラマ法王に戻ってきてほしい、そして自分が犠牲になることでこの国の苦しみが一日も早く終わってほしいという切実な叫びが込められている。しかし、この犠牲を以ってしてもチベットの状況が好転することはなかった。胸が押し潰されるようなニュースが報じられる度、私はあまりの無力さに目を逸らしたくなるほどだった。

私はインド・ダラムサラで日本人の妻と出会い、2010年から日本に住んでいる。東京の日本語学校で学んだ後、山に囲まれた環境が気に入って松本に移り住んだ。
今は介護の仕事をしている。数年前に日本国籍を取得し、念願のチベットへ郷帰りの夢が叶った。海外に移住する亡命チベット人は多いが、国籍を取得してもチベットに行くことができるのはごく少数であり、私はとても幸運だと思う。中国・成都から飛行機でチベット・ラサへ。興奮と緊張で何とも言えない気持ちになりながら、私は24年ぶりに故郷の土を踏んだ。そびえる山々が私を待っていたように感じられて、涙が溢れた。市街地へタクシーで向かいながら、ポタラ宮の前にずらりと掲げられた中国国旗、中国語の看板の多さ、赤く中国化した街並みばかりが目につき、チベットは発展するどころか壊されてしまったことを実感した。全てがチベットは中国のものだと過剰に主張していた。こんな光景を毎日見ている人々の苦しみを思うと胸が痛み、再び故郷を訪れた喜びよりも悲しみのほうが大きかった。私の出身の村まではすぐそこだったが、自治区内では外国人が民家に滞在することは許可されていない。自治区内を旅行するには必ずガイドを伴わなければならず、勝手に行動すれば、ガイドが罰せられてしまう。亡命者の気持ちを理解しているチベット人運転手は私を人気のない山に連れて行き「ここなら何を叫んでも平気だよ」と言った。他では常に監視、盗聴されているからだ。私は「チベットに自由を!」の代わりに「帰ってきたよ!」と叫んだ。

私を含めた旅行者4人とガイドの一行はラサを発ち、カイラス山の巡礼へと出発した。ラサを離れると、高原の美しい自然や野生動物の姿に気持ちは穏やかになり、旅を楽しむ余裕が出てきた。〝外国人〟である私が家族に会いに行けば迷惑がかかるかもしれないという心配から、私は今回の旅で家族と会うことは期待していなかった。チベットではどこまでが大丈夫でどこからが危険なのか、実際のところを事前に知り得なかったし、私は必要以上に臆病になっていた。しかし何の計らいか、巡礼中に古い友人とばったり遭遇し、私が事情を話すと、彼は家族に会わないなんて私も家族も可哀想だと言い、すぐに家族に電話をかけ、盗聴されているので詳細は上手くぼやかしながら、私と会えるよう約束をしてくれた。彼に会えていなかったら、私は家族とも会わずに日本に戻っていただろう。

カイラス山は標高6656メートル。チベット語で「カン・リンポチェ (雪の如来宝珠  」と呼ばれる、チベット仏教徒にとって最重要な聖山である。一周52キロの巡礼路 をコルラ(右回りに歩いて周る)すると、魂が浄化され徳 を積むとされる。チベット人たちは、より良い来世と平和 を祈り、高らかな歌声を響かせたり、五体投地をして聖なる山に身を預けながら道を進んでいく。


続く