2024/06/08 23:58

信州の冬は寒くて長いが、私は雪が降ると嬉しくなる。雪国チベットの血が騒ぐというか、幼い頃の記憶が蘇るのか、雪かきをしていると夢中になって汗だくになるまでやってしまう。雪の中を散歩するのも好きだ。私と妻が松本に移住して初めての冬、70センチの大雪が降った時も私は大いにはしゃいだ。しかし例年は松本ではあまり雪は降らないので、私はいつも物足りず、空に向かってもっと降れ〜!と言っている。

松本は文化の街といわれるだけあって様々なイベントが開催されていた。私達はチベットの雑貨や料理で出店するようになり、そのおかげで仲間も自然と増えていった。その中には2011年の大震災がきっかけで移住してきた人々も多かった。日本では依然として危機的な状況が続くチベットのことを知らない人は多く、チベットのために何かしなければという思いはずっと持ち続けていた。私達は色んなイベントに参加するうちに、いつかチベットのお祭りができたら、と思うようになっていた。そんな中、オーストラリア在住のチベット人アーティスト、テンジン・チョーギャルのライブが東京であり、ライブ後に西荻窪の居酒屋で彼と話している時に何気なく妻が、長野でチベットの野外フェスティバルができたらいいなと思っていると言うと、彼は「思っているだけじゃなく、やれ」と言ったのだった。彼はチベットで大規模な抗議運動が起こっていた2008年、祖国の状況に居ても立っても居られず、ブリスベンの公共施設へチベット支援のためのフェスティバルをやらせてくれと直談判して会場を無料で貸してもらい、以後毎年イベントを成功させているオーガナイザーでもあるのだ。彼の「やれ」の言葉にハッとさせられた妻は、お祭りを実現する方向へスイッチが入ったという。

私の仕事はといえば、インドで取得した理学療法士の資格があり、日本で理学療法士として働くことを望んでいたけれど、日本の制度の壁は厚く、インドの資格が日本の国家資格と同等と認められず、その希望は頓挫した。現在は、理学療法の知識が少しでも活かせると思い、介護職に就いている。職場の介護施設では、そこで最期までの時間を過ごすお年寄り達に、仕事としてではなく、できるだけ親しみを込めて接するようにしている。家族がほとんど会いに来ない人には特に、冗談を言って笑わせたり、歌を歌ったり、仕事中にお腹が空いたらお菓子を貰って一緒に食べたり、家族のように過ごす。私も寄宿学校時代に会いに来てくれる家族がいなかったので、その時の気持ちと重なるからだ。認知症が進んで自分の意思が表現できない人にはより丁寧に、自分がその人だったらどうしてほしいかを考えて接している。マニュアル通りの仕事や効率を優先するより、人間的な関わりの方が相手にとっても自分にとっても嬉しいことだと思うからだ。そのおかげで私は認知症のおばあちゃんから、息子、夫、さらには施設の社長と思い込まれ、全幅の信頼を得ている。

あるおばあちゃんは施設に入居した当初は寂しさで泣いてばかりいたが、私が毎日笑わせているうちにどんどん明るくなり、今では息子さんがびっくりするほど元気になっている。私はそのおばあちゃんが覚えやすいように自分の名前を「寅さんだよ」と名乗り、苗字はと訊かれたので「車」と答えると、おばあちゃんは「あっ!あの寅さん!?」と大笑いし、それから毎朝、「今日は寅さんいる?」と私が来るのを楽しみにしてい

る。入居している人達はほとんどが認知症なので、面倒も沢山ある。すべて真面目にやろうとすると参ってしまう。だからふざけながらやればお互いが楽しく、逆に笑わせられることもあって、苦労も忘れる。それに私もいずれは老人になって介護される立場になるだろう。その時に、今自分が精一杯やっていることが、自分にも返ってくると思う。私はチベットの両親や祖母に何もしてあげられなかったけれど、今こうして日本のお年寄り達にやっていることは、自分の両親や祖母にしているのと同じ事だと思ってやっている。